A Nomad in Abu Dhabi

UAE首都アブダビ在住 コーヒーを愛しカフェを探し歩くノマド

夕べの公園 Umm Al Emarat Park

アブダビの気温も、やばい暑さからまあまあの暑さになってきた。

日中は未だ暑くて外は10分でギブアップレベルだが、朝夕は汗だくでもよろしければお散歩できるレベル。

 

この前、去年アルアインアブダビのお隣の陸内の街)から引っ越してきた

イギリス人と話していたら「アブダビの湿気やばいよ!」と文句を言われておった。

確かにアブダビは湿気が高い日が多い気がする。

 

さてこちらはTGIFならぬ、TGIT(木曜が週の勤務最後の日)だったので

夕飯を食べてから、家族でドライブがてら公園へ行ってみた。

 

外を歩くと、風がほんわり温風だけど、なんだか気持ちいい。

ああ、やっとアブダビの秋がやってきた…と、そよ風で感じる。

 

訪れたUmm Al Emarat Parkは、アブダビの真ん中あたりにあり、割と立地がよい。

街中にあるわりには、広大な敷地でかつ綺麗にメンテナンスされていて

気持ちよく過ごせる公園。公園が綺麗って、素晴らしいことだよね。

 

公園へ入るのに1人5AED(約150円)だが、なんでもバカ高いアブダビで暮らしてると

「え!超安くない!?」とホイホイ考えもせず払ってしまう金銭感覚が狂っている…

 

到着した16時半は、そもそも公園に人がいない。暑すぎるからでしょうね。

我々も、公園の中にあるオッシャレーでバカ高いカフェでお茶をして、まず涼む。

17時半を過ぎてくると、じわじわ人が増え、最後の方にはどどどとやってきて

帰る頃の18時半には結構な人が来ていた。

でも敷地が広いから密度は高くならないのがこの公園のまたいい点。

 

そうしてほかの人々を観察していると、不思議と共通項が見えてくる。

ほぼ、2つのグループしかいない。

 

グループ1つ目は、白装束の父と黒装束のママンが率いるアラビックの大家族。

推定エミラティ(自国民)。

 

彼らファミリーは、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、のようにはっきり分業。

ナニーと子供達は外で遊んで体力消耗に、実の父母はカフェでお茶し涼みに。

そう、公園はナニーと子供達で溢れかえる。

逆に公園内のカフェに入ると、今度は白カンドゥーラの父と黒いアバヤの母だけで溢れかえる。

彼はクーラーがガンガン効いたカフェで、お茶とお菓子を優雅に頂いている。

そして、彼らは白い巨体の車で公園へやってくる。

子供は平均して3〜6人いる家族ばかり。大家族。

 

グループ2つ目の、黒人およびコケイジャンのファミリー層は大概子供が1人か2人。

そこまで生活に苦労はしてなさそうな感じが漂う人たち。

彼らの会話がちらっと聴こえたときに耳を凝らすと、南アフリカアクセントが強い。

みなさんほぼ南アフリカの人たちと推定する。

多分、気温的に、この暑さがきっと母国のそれと似ていて、彼ら的にはこの気温は全然イケるのかもしれない。

 

アブダビに住みだんだん身についてきた能力の1つが、コケイジャンの人でも

見た目や話し方で出身国を見分けることができるようになってきたことだ。

この能力が何かに活かせればいいのに…と思うが、使い道は特にない。

 

逆に北米で育ったうちの旦那は汗だくになって最後の方は本気でヘバっていた。

今日はうちの旦那以外、寒そうな国出身の方は全く見かけなかった。

まだまだ暑いもんね。日本の猛暑日の夕方みたいな感じの「むわっとさ」があって

私も最後の方は結構ぐったり感じた。

 

マジョリティグループの、推定エミラティのアラブファミリーたち。

でも、今日は一人として白装束の父が、黒装束の母が、その子供を追いかけている姿は見なかった。(もちろんたまに見かける時もあるが。)

5人も子供がいたら、それどころじゃないし、ナニーのお力を借りないともう

回らないっていうのもなんとなくわかる。

別にどういうのがいいとか悪いとか、そういう話ではなくて、

なんとなく、このスタイルが、この地の(現地民たちの)文化なのだな、と感じた。

ナニーがいることも彼らの人生の当たり前の部分で、

我々日本人が家に炊飯器がないと、なんだか不思議な気持ちになるのと同じく

もう生活に欠かせない一部なんだな、と。

炊飯器がなけりゃないでなんとかなるんだけど、やっぱりないとやだ!ってなる。

この「なくちゃやだ!」は、あまり理論的に表現できない。きっとそれは文化なのだ。もう一部なのだ。論理じゃなくて、感覚なのだ。

ちなみにナニーがモノと同等ということを言っているわけではない。悪しからず。

私にとって人生でないとだめだとなりそうなもの、私のソウルに欠かせないもの、私が生活でエッセンシャルに感じているものってなんだろう…と考えたらたまたまそれだったので例としてあげただけである。ただの食いしん坊なので、他の分野で例が思いつかないという残念な話なだけなのである。

 

ナニーとずっと遊ばせているのを見て悲しくなる、とコメントしていた友人がいた。

父母と遊んだ幼少期の記憶に勝るものはないと思う人もいるだろう。

実際に私も、公園で大はしゃぎで旦那と追いかけっこし、笑顔があふれんばかりの息子を見ながら、こういうお父さんと一緒に遊んだ幼少期の経験って本当にいいことだろうな〜とうっすら思ったりした。

けれど、これも私の個人的経験に基づく、個人的な見方でしかない。

 

この世には、色んな形の家族がある。

子育ても、色んな状況がある。

親が離婚し片親で育つ、親が離婚し週の半分は母と残りは父と過ごす、

親が再婚し親の新しいパートナーやその連れ子と暮らす、

養子縁組で引き取られ血は繋がらない親のもと育つ、

片親が遠方で働かなければならず片親だけと普段は暮らす、

両親ともに仕事や事情がありナニーがほぼ面倒をみて暮らす、

事情があって親はほぼ家にいないので祖父母が子をほぼ見ている

…あげたらきりがないほどのバリエーションがある。

 

どれがどうと批判するのは簡単だが、みんなそれぞれに背負っている物語・背景がある。

子育てにこれが正解!という単純な答えはない。

複雑な要素が絡み合って、この複雑な世界で子供は育っていく。

ただただ、目の前に与えられた条件の中で、自分の中でベストと思えるものを、

頑張って紡いでいくことしかできない。

たまにうまくできなくて自己嫌悪に陥ったりしながら。

 

なんてことをぼーっと思いながら、温風の風に吹かれた秋の夕べ。